今日は、安倍元総理の告別式でしたね。
銃撃事件の日から、悲しい気持ちで胸がいっぱいでした。ただ、その思いはどうしようもなく、何故こんなふうに思うのだろう?と改めて考えたとき、本当に我が国の父であったのだろうと感じました。
私が安倍元総理に興味を抱いたのは、父が亡くなる頃でした。
父が病室で「安倍あかん!」と言っていた一言が妙に引っかかり、なぜあかんと言ってたんだろ?と気になって政治にも興味を持ち始めました。
当時20歳の私には、理解できることが少なく、この人は頼りない人なのかな?と言うイメージを持って見ていました。その矢先に辞任され、やはりダメだったのか!と思い、そこからはまた政治から興味は離れました。
そして再度総理の座に着いた時、またあの頃の気持ちが蘇ってきて、無条件に「二度目とかすごい!もっと知りたい!」と思い、二度目の安倍政権からは興味深く政治を見ていました。
政治に正解ってあるのだろうか、、そんなふうに思い出したことの背景には、誰かと安倍政権について話するたび、「人々は誰の意見に促されているのだろう」と思うようになったんです。
本当に自分の考えを持った上で、メディアの報じる事を見聞きしているのか。それとも、メディアの情報とそれに対する世の中の大多数の意見に流されてるだけなんじゃないのか。
そんなふうに世の中を考えるようになったです。
それは間違いなく安倍さんと言う総理大臣に興味を持ち、そこから私なりに感じることが増えたから。
政治に興味があったというより、安倍さんに興味があった私は、お陰で今後の日本について考えるようになりました。
だからといって政策についてめちゃくちゃ詳しいわけではありません。
毎度、「この先に何を考えてこれをされたんだろう」と考えることが私は楽しかったですし、そうやって一緒にこれからの日本を考えるのが楽しかったなぁと振り返って思っています。
そして安倍元総理亡き今、これこそが偉大さであると痛感しています。
無意識に我が国についてを意識させてもらえたこと。
すごいですよね。
そして何よりずっと昭恵さんが面白すぎる!と思っていて、この悲しいニュースが出た時も、昭恵さんを思いました。
昭恵さんのインスタで、安倍ご夫婦を見るのが好きでした^ ^
なんて可愛いご夫婦なんだろう。と、率直に感じていましたし、二人でいるときのそれぞれの表情が素敵だなぁと感じていました。
私は常々、”その日一日何があっても悔いのないように”をモットーに生きています。
当たり前なんてあり得ない。9年前、友人の旦那さんが事故で亡くなった日から、この思いは一日足りとも忘れたことはありせん。
父が病気で余命があと少しだと知った時、辛すぎて雨の中ずぶ濡れになりながら二駅歩いて帰ったことを覚えています。
その中で、最終的に至ったのは、まず何より自分のために父に尽くそう。ということでした。
どれだけ父のために何かをしても、それがどうだったかなんてわかるわけない。自分が、もうこれ以上はできることはなかった!やりきった!と言い切れるだけのことをしよう。と心に決めて、翌日から毎日病室へ行きました。
この時に感じたことは、私の今に至る「人の死」に対する考えにも通ずるのですが、死ぬということは、そこに関わる人たちこそが乗り越えるものなのではないか、ということ。
そしてこの自分の中にあった思いを、養老先生の死の壁という本で確信しました。
そこには、「死は二人称」と表現されており、深く納得しました。
そして今回、安倍元総理の突然の死を通しても、これほど国民、世界中が衝撃を受け、この事実を受け入れることに戸惑いを持っていること。
会ったことのない人であっても、こうして私たちの生活の中に無意識に存在していたということですもんね。
凄いですよね。
安倍元総理は、これからもっと偉大な歴史上の人物になるのかと思うと、それはすごく嬉しくもあります。
死を超えて生きる。
そう言うことなんじゃないかなぁと、私は思っています。
だって私の父は、死を超えて生き続けていますもん。
しかしどんなことでも失ってからでは遅い。
今という瞬間をどれほど大切に思いやれるか。
これからも全力で今を、そして目の前の人を、大切な人を、家族を、思いやり、尽くして生きていきたい。
全ては自分のために。
安倍元総理、安倍さん!!本当にありがとうございました!!安倍さん大好き!!
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